千利休が築いた侘び茶を復興させた元伯宗旦

千利休が築いた侘び茶を復興させた元伯宗旦

幼い頃から祖父(利休)の姿を追って侘び茶を学び利休もすすめで大徳寺三玄院に喝食として入ったのは宗旦10歳の頃、その後14歳の時に利休は自刃に伴い祖父(利休)との別れとなります。長い間、うつ病と闘いながらも利休の築いた侘び茶を復興させるために多大な尽力を濯ぎ

午後からは生形先生自らお点前でのんこう赤楽茶碗にてお呈茶のおもてなし・・・その赤楽茶碗は薄く丸みのあり、掌の中に心地よく収まるお茶碗でした。今回ご参加いただきました皆様の中から当日のご感想をお寄せ頂きましたのでご紹介いたします。

受講されたY・T様より                                     寒緋桜の美しく咲く春の気持ちの良い日に、初めて松戸の戸定邸ない松雲亭にて講習会とお茶会に伺い
生形先生の点てて下さった のんこうの赤楽茶碗でお茶を頂く機会に恵まれました。普段は美術館のガラス越しでしか拝見出来ないお茶碗ですので、恐る恐る手にしましたら 思いの外 薄造りで軽く感じましたが、熱くもなく手の中にちょうど収まる穏やかな形と 珍しい綺麗な赤色、ゆっくりと頂いてみますと、生形先生の出入りと仰った三丘園の抹茶、本当に美味しゅうございました。こんな幸せな事はありません。一生 心に残る思い出のお茶会になり、参加させて頂きました事を、生形先生吉野様そして企画してくださった装爽ネットワークの木村様に心より感謝申し上げます。

T・N様より                                         お天気に恵まれて2年間のコロナ禍で不要不急を言われた日本文化の教養と文化の栄養をたくさん吸収することができました。生形先生のお点前ではのんこう赤楽茶碗で点てて頂きましたが、残念ながらお隣の方のところに・・羨ましくも有ましたが、手に取らせて頂き拝見させていただきました。5月からの樂茶碗と茶道具の楽しみの講座も楽しみにしております。次回こそ先生のお点前のお茶をいただけますように・・・

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